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Suzuki Yuya Blog

Simple is the best

人生、何者にもなれなくたっていいじゃない

日記

この世には何者にもなれない人がいる。

 

何かの道に精通しているわけでもない、ある分野においてトップクラスに入るわけでもない、といって特殊な技術を持っているわけでもない。そもそも人並みの能力があるかも怪しく、自信を持ってこれと言える能力もない。

 

人は誰だってナンバーワンになりたがっている。しかしナンバーワンになれるのは一握りの人間だけで、大半の人間は悲しきかな、その他大勢に埋もれていく。ナンバーワンという分かりやすいステータスは、他者と比べて目立つアイデンティティであり、それは信用や評価を集めてくれる。

 

多くの人は自らのアイデンティティを求め、何者かになりたいと心の奥底で煮え切らない気持ちを抱えている。 それは私も同様、心の奥底どころか目に見える表面に煮え切らない気持ちがにじみ出ている。何故、私は何者にもなれないのだろうか、そんな想いを抱えてずっと生きてきたと言っても過言ではない。


でも、最近「何者になる必要があるのか?」と疑問が湧いてきた。これは負け惜しみなのかもしれないが、何者になるのが幸せという価値観が少しずつ変わっている。

 

確かに、ある事に対して多大な知識を持っているとか、何かの分野で優秀な人物になったりとか、特殊な技術を習得したりとか、何かあれば幸せにはグッと近づけるのかもしれない。でも生き方として、果たしてそれが正しいと断言出来るのだろうか。

今回は、相田みつをに習い、「何者になれなくたっていいじゃない、人間だもの」を書いていく。

ナンバーワンはすごいけれど

ナンバーワンというステータスの効果は高い。人から尊敬を集めることも容易く、信用を得るのなんて屁でもない。ナンバーワンはすごい、だから皆一様にそれを求める。

 

でもそこまでの道は決して容易くはなく、それこそ才能や、最適な環境、半端ではない努力が求められる。全員が全員、トップクラスと同じ条件で取り組むことはできないので、ここで大体の結果がわかってしまう。

 

ナンバーワンを目指すということは、それに心血を注ぐということなので、そこまでのエネルギーを捧げられるのか、それも問題になってくる。つまりナンバーワンになるどころか、それを目指す段階で、もう相当ハードルが高い。

 

本当にそれが好きでたまらなくて、一生をかけてもいいと思えるようなものであれば絶対に間違いないが、ナンバーワンを常に目指すのが最適なのか、そう問われると違う気がしてならない。

 

私は何者でもない。

冒頭でも書いたように、私は何者でもない。

 

勉強もスポーツも芸術も得意なわけではなく、仕事も家事などの生活に必須のものも得意じゃないし、顔やスタイルなどの見た目も良くなく、人格や人付き合いなどのヒューマンスキルもまったく良いところ無し。ナンバーワンはおろか、人並み以下、思い返して書いてる今でさえ悲しくなる。

 

今まで数えられるほどだが色々と挑戦してきたつもりだ。その中でナンバーワンになれた事は、小さなことで1度や2度あれど、ステータスになるようなナンバーワンにはなったことがない。

 

だが、そんな私でさえ褒めてくれる人もおり、私を「すごい人だ」と肯定してくれる人もいる。どこをどう見てそう言ってくれるのか自分ではわからないが、別にナンバーワンじゃないと人に認められないわけでもないし、社会にとって価値がないわけじゃない、それは確かにわかる。

 

ナンバーワンよりオンリーワン

もはや当たり前の事だが、オンリーワンの方が貴重であり価値があり尊重されるものだ。

 

何故ならナンバーワンは替えが効く。ナンバーワンがいなくなればナンバーツーが格上げされるし、時代の流れと共にランキングは変わる。しかし、オンリーワンは替えが効かない。代替できないからこそのオンリーワン。

 

仏用語に、「天上天下唯我独尊」という有名な言葉がある。よく暴走族などが好んで使う言葉というイメージがあるが、「どこにいってもただ1つしかない命なのだから、それはそのままでも尊重されるもの」という意味の言葉だ。

 

命というものは天上天下唯我独尊、故に産み落とされた瞬間からオンリーワン。だからナンバーワンではなくても、あなたという存在はあなたしかいないんだから、それはオンリーワンなのだ。

 

常に+1するために挑戦する

危ない危ない、こんなチンケな文を書いていては戻るボタンを押されてしまう。天上天下唯我独尊だけでは抽象的なものに留まってしまうので、オンリーワンになるためにどうしたらいいのか具体的に書きたいと思う。

 

と言っても簡単で、自分に少しずつ+1をしていけばいいのだ。

 

確かにナンバーワンはその分野においてのトップなので、何かあればナンバーワンが常に優先されるが、逆にいってしまうとナンバーワンはその分野でしかナンバーワンではない。

 

一芸を極めることは多芸を極めることと同義とよく言われるが、一芸を極めた後に多芸を極めようと挑む人は実は少なく、私が知っている人物でもそんな人はいない。それこそ何かの本やニュースなどでめちゃすごい人が紹介されて知ることはあれど、本やニュースになっちゃうぐらい人しか知らない。

 

ナンバーワンは目指す段階でも、頂点に立った段階でも、そして頂点に立ち続けるために多大なエネルギーを必要とする。それを考えれば、ナンバーワンが次のナンバーワンを目指さないことに対して、とやかく言われる筋はなく、逆に維持出来ているだけでも素晴らしいことだと思う。

 

しかし「何者でもない」我々は維持するポジションも何もないので、継続的にチャレンジすることが可能だ。それこそ1年間にとことんのめり込み、来年にはまた新たな事に挑戦する、みたいなスタイルも不可能ではない。

 

そうやって新たなことに挑戦しつづけ、新たな経験やスキルを手に入れ続ければ、そこにはあなたにしかないオンリーワンの武器・価値があるはずだ。自分で新たな分野を作ってそこでナンバーワンになるも良し、多数の経験とスキルを持たなければ出来ないことを成し遂げても良し、既存の分野で特殊なポジションを獲得するも良し、様々な武器を持っていればこそ出来ることが必ずあるはずだ。

 

誰だってオンリーワンになれる

このオンリーワンには誰でもなれる。何故なら誰ひとりとして同じ人生を生きてはいけないし、同様の経験を得ることもできないし、同じようにスキルを育てられることもできない。人生という時間軸があるからこそ、誰でもオンリーワンになれる。

 

唯一、成功か失敗かの分水嶺があるとすれば、挑戦する時間の長さだと考えられる。上に例えとして「1年」と書いたが、正直1年じゃ短い、最低でも3年はやらないと身につかないと私は考える。

 

適性がある人であれば短い期間でも良いのかもしれないが、私自身、実になってると感じられるものは長期で続けたものである場合が多い。

 

何事も長く続ければ良いってわけじゃないが、それぐらい続けなければ見えてこないものやわからないものも確かにある。石の上にも3年とは良くいったものだと、つくづく実感する。

 

 この続けることが難しい。面白くなかったり興味がなくなってしまったらやめてしまってもいいが、どんなものでも一時的にそのような状況になったりするもので、その時に一時的なものなのか恒久的なものなのかというのは案外検討がつかない。この倦怠期をどう乗り越えるかによって、身につくか身につかないかが大きく変わってくるはずだ。

 

続けることができない、続けられるものを見つけれない、そういう人はナンバーワンを目指すより先に自分が時間と情熱を捧げられるものを見つけよう。そういったものを見つければ、必ず現状に+1してもっと良い方向へ行けるだろう。